オリンピックイヤーだからというわけでもないのだけど、どうしても読んだことのない村上春樹の作品が読みたくて。
村上春樹のエッセイを読みたいときは、心が病んでいるときだと思う(私の場合)。
この作品を読んで、この人は人というものにとても興味を持っていて、人に会って聞いたことを文章にしてアウトプットすることで自分の中で咀嚼する人なのねと思いました。
それは、他人に流されない自分自身というゆるぎない強さを持っているからこそできることなのだとも。
Officially this is my arena, finally.
連休中に現実逃避的に購入した村上春樹の本の4冊目。
旅行記って、ある意味では自分をさらけ出すところがあると思うので、小説家としてではない村上春樹さんを垣間見ることができる気分になります。
特に、彼が育った神戸に対する気持ちなんかが、ぐっときます。
『遠い太鼓』や『雨天炎天』が1つの連なった長編作品だとすると、この作品は、いろいろな旅をよせ集めた短編集のような感じです。
だって、ハンプトンから始まり、メキシコ、モンゴル、讃岐うどんめぐり、神戸まで脈絡なく出てくるのです。
ところで、外国に出かけるときによく同行しているエイゾー君にたいして決して「写真家」とか「カメラマン」という言葉を使わないのです。
「写真の松村映三くん」か「カメラの松村映三くん」っていうのです。
何か、こだわりがあるのかな。
とてもきになりました。
『ギリシャ・トルコ辺境紀行』というサブタイトルがついているエッセイです。
とっても面白かったです。
やっぱり彼の紀行は面白いです。
ある修道院の受難図の説明にカッコで感想みたいなものが書かれているのだけど、それが、不謹慎にも「ぷっ」とふきだしてしまう小気味よさなのです。
それに、不意に胸をつくような疑問や考えを投げかけたかと思えば、現金な感想をいったりする、そういう子供みたいにくるくる変わるところがとても魅力的です。
久しぶりに読んだ村上春樹の作品は、私にとって、彼らがアトスの旅が終わってウラノポリについて飲んだ冷えたビールのようだった気がします。
そういえば、とても共感できる文章が。
旅行というのは本質的には、空気を吸い込むことなんだと僕はそのとき思った。おそらく記憶は消えるだろう。絵はがきは色褪せるだろう。でも空気は残る。少なくとも、ある種の空気は残る。
私は、「匂い」という言葉で表現していたのだけど、同義だったらうれしいなと思う。